上野樹里主演映画『幸福のスイッチ』インタビュー(1)

「こう変えたら、もっと伝わるんじゃないの、って言うのがすぐにできるのは、すごく便利!」「幸福のスイッチ」監督・脚本:安田真奈さん、編集:藤沢和貴さん

(2006.9.29)

今年(2006年)の秋、1本のハートウォーミングな日本映画「幸福のスイッチ(しあわせのスイッチ)」が公開される。和歌山県の小さな電器屋を舞台に繰り広げられるこの物語では、日本人が次第に忘れつつある素朴さや温かさが描かれていて、上野樹里、沢田研二、本上まなみといった個性的なキャストの出演とともに、公開前から話題となっている。
「幸福のスイッチ」は、ハイビジョンカメラで撮影され、編集にはカノープスのEDIUSが活躍した。
今回は、「幸福のスイッチ」の監督で脚本もされた安田真奈さんと、編集を担当された藤沢和貴さんに、『映画作りにおける編集』という仕事のことを中心に映画制作の楽しい裏話など、色々と話して頂いた。

「幸福のスイッチ」は、家族をテーマに「人間愛」を大切に描いた映画

「幸福のスイッチ」は、このインタビューをしている時点ではまだ公開前なのですけど、試写を見た人からは、心が温かくなる映画だと、すでに評判ですね。まずは、ネタバレにならない程度で、映画「幸福のスイッチ」を紹介していただけますか?

上野樹里主演映画『幸福のスイッチ』の一場面
上野樹里主演映画 『幸福のスイッチ』 の一場面

安田  「幸福のスイッチ」は、田舎の電器屋さんを舞台にした家族愛の物語です。お客様第一で仕事人間のお父さんがいて、三姉妹がいて……。主人公である次女は、父と折り合いが悪くて東京に行って仕事をしてたのですが、父の入院をきっかけに実家に戻り、店を手伝い、そして、次第に頑なな心が解けていくという物語です。

今のメジャー映画ではあまり見られない、こういったハートウォーミングな作品を作ろうと思われたのは何故でしょうか?

安田  私は「社会の大事件」よりも「個人の大事件」を撮りたいと常に思っているんです。例えば、今日、私が誰かに会ってそれで交流したり何かがあって、翌日からとても明るい気分になれたとしたら、それは新聞には決して載らないけれども自分にとっては大事件だと思うんですね。ささやかな心の機微、ちょっとした前向きになる瞬間、ちょっと気付く瞬間を撮りたいっていうのは、映画を撮り始めてからずっと一貫してますね。

電器屋を舞台に選んだ理由は?

安田  町の電器屋さんというのは、設置や修理・点検で人の家に上がりこむことが多い仕事で、すごくお客との距離が近いんですよ。だから例えば修理が終わったらご飯が出てきたりとか、風呂に入っていけという事になったりとか、鍵渡しておくから留守の間に修理しといてよとか…、今どきこんな人間関係の濃い仕事があったんだ!っていうような面白いエピソードがいっぱいある商売だったんですね。そういう人と人との交わりがアツイ舞台なら、「個人の大事件」に物語がフィットしやすいだろうな、と思ってマッチングしたんです。まぁ、地味なんですけど、素朴で共感できる感じになればいいなと。

自主制作映画から、劇場用映画へ

安田監督は、自主映画からスタートされたそうなんですが、自主映画から劇場映画にステップアップしていくために、どういうことをしてきたのか、教えていただけませんか。

安田  自主映画の場合、完成したら、自分たちの仲間内だけで見たり、何かのコンテストに応募しても1つダメだったらそれで終わり…みたいなことがよくあると思うんです。でも、やっぱり作品を作ったら上映の場で検証して、次の作品に活かさなきゃいけないと思います。
私は会社員時代、販売促進の仕事をしていて、カタログ・チラシ・展示会の企画をしていました。そこで、「作って」「出して」「検証して」「次に活かす」という工程というものを学びました。これは映画にも非常に役に立ちます。
映画を作ったら必ずどこかに出す。このコンテストがダメならこっちに出す。コンテストがダメなら上映会に出す。とにかく世に出す。そして審査員の反応や観客の反応を自分なりに集めて、それを次に活かす…。

次に活かすというのは、次回作の構想に役立てるという意味でしょうか?

安田  もちろんそういう内面的な意味もありますが、それだけでなく、作品を通じて人脈を作ることや、スタッフとの絆を深めることや、自分の実績の宣伝として使うといった対外的な意味もあります。スタッフや役者に、「あなたが協力してくれた作品は、ちゃんと完成して世に出てますよ」と示せばとても喜んでもらえます。そういったフィードバックが「次」につながるんです。

それはもう映画の作り方というより、あらゆる商品の作り方に役立つお話ですね!

安田  そうですね。次にもっといいものを作るためのプロセスっていうのを会社で学ばせてもらいました。自分の満足のために作るのが自主映画なんだけども、もっと満足するためには、作るだけでなく、外に出して検証して次に活かすということだと思います。そういうことが、ステップアップのためにやり続けてきたことですね。

作品の完成までで満足してしまってはいけないということですね。ただ自主映画の場合、自ら「売り込み」的なことをすることを嫌がってしまうようなタイプの監督もいるかもしれませんが。

安田  よほど才能の光る作家なら、黙っててもプロデューサーが引っ張ってくれるでしょうけど、自分にはそこまで突出したセンスはないと自覚していたし、いつか誰かが助けてくれる的な幻想も持ってませんでした。大阪で会社員という立場も、映像業界から離れすぎて不利、と自覚してましたしね。だから映画祭に行ったら手裏剣のように名刺を配り、相手によってはプロフィールと自作品のビデオを渡し、どうしても会いたいプロデューサーには直接訪ねていったりしました。将来映像業界に行きたい気持ちが少しでもあるなら「売り込み」は大切ですし、次の作品を良くするためには人脈と批評が重要なんです。
特に自主映画の場合、スタッフや役者はみんなボランティアでやってくれているんですから、そういう作品を広める活動は、彼らへの恩に報いるためでもあるんです。完成作品が棚に寝てるっていうのは自分が協力者の立場だったら嫌だと思うんですよね。

劇場映画第一作をやってみて、自主映画と劇場映画の一番の違いっていうのはどこに感じましたか?

上野樹里主演映画『幸福のスイッチ』の一場面
上野樹里主演映画 『幸福のスイッチ』 の一場面

安田  そうですね。この作品は、「電器屋舞台の家族もの」「大アクションもロマンスもない地味なドラマ」「原作ものではなく新人のオリジナル脚本」ということで、本当に企画が通りにくくて、最初の企画から撮影に入るまで3年もかかってしまいました。これが自主映画だったら勝手にサクサク撮れたんだけど、やっぱり劇場映画にするために3年かかったんだと思います。
ただ、その間により多くの取材をして脚本を書き直して、いいものにできたと思うんで、無駄な3年だったとは思わないですよ。自分がどうしてもやりたいテイストと、劇場映画として成立する接点を探し続けた3年間でしたね。
多くの店や周辺を取材して、店のお手伝いもした上で改稿したから、中身ができたんだと思います。

ところで安田監督は、自主映画監督からいきなり劇場映画監督に抜擢されたわけでなく、会社員生活の時代や、テレビドラマの脚本・監督などのお仕事を経て来たそうですが、そのあたりの経験から活かされたことなどをお話していただけませんか。

安田  会社員時代は自分が発注側だったんです。自分がプロデュース側にいて、自分が予算枠を管理してて、どの製作会社に発注しようかなと。会社の目的を実現するためにどこに発注してどこにどういうふうに予算を振り分けたら効果的にいくのかを考える。そういう経験を経てから、映画の仕事では受注側…、「仕事として」ものを作る立場となりました。だから例えば脚本発注が来たときに、発注側が何を求めているかがわかりやすい。これが会社員時代の経験を活かしているところです。

なるほど。次に、仕事として脚本を書きはじめて、どういうことを経験しましたか?

安田  アイデアは浮かんでも、いざ脚本を書こうとすると、撮影期間や予算、キャスト、ロケ地の都合等、様々な縛りがあります。それらをふまえた上でいかに自分の味を出すか、やりたいことを盛り込むか……、その折り合いをつけるのが難しくもあり、面白いですね。

編集は、現場とお客さんの間をつなぐポジション

次に、編集の藤沢さんにお話を伺います。「編集」というお仕事は、監督とか撮影とか役者とかに比べると、あまりオモテには出てこない仕事ですよね。

藤沢  地味だねー(笑)。録音部と張り合うくらい地味だねー。みんな画面は見てるんだけど、あっそういや編集してたよねー、みたいな。でもそれは編集が意識されないほど自然な形で受け入れられたっていうことで、ほめ言葉でもあるんだけれども。
例えば、音楽だけが突出して目立つ映画っていうのがありますが、個人的にはあまりよくないと思います。どんな音楽がついてたかなかなか思い出せない、でも音楽は確かに鳴っていたっていうくらいの一体感のあるまとまり具合が、一つのいい形かなと思いますね。編集も同じで、「編集している」ということが気付かないくらいが良いんだと思います。

安田  ドラマを縁の下で支える役割ですよね。音も編集もね。

藤沢さんは、編集というお仕事をどういう仕事だと思っていますか?

藤沢  監督や現場が持っているトータルの作品イメージを、いかに損なわない形でお客さんに示していけるかっていう、それが編集という仕事だと思っています。現場とお客さんの間をつなぐポジションなんです。
映画全体のイメージっていうのは基本的にはスタッフみんなが共有してるはずなんですが、それでも撮っただけのラッシュ状態でいきなりイメージ通りになっているわけじゃない。それはいろいろ理由があってのことだったりするんだけど、でもそれは作り手側の話であって、お客さんはあずかり知らないことですよね。だから作り手の事情に呑み込まれず、当初のイメージに近づけていく必要があります。

監督の目だけでなく、観客の目で見ることが必要になってきますね。

藤沢  そうそう。

安田  例えば「ちょっとうまく撮れなかったな」という部分があったとき、私は撮影現場のやむを得ない事情でこうなった…、ということを知っているから、あきらめちゃってるんですよ。そこを、客観的な編集さんが「いやいや、じゃあこっちのカットの声はオフにして、こっちの顔の方を使ったらどうだろう」といったことを提案してくれるわけです。それこそ目の前で、サクサクっと作って見せてもらえる。

藤沢氏の自宅スタジオに設置されたカノープスの編集システム
藤沢氏の自宅スタジオに設置された
カノープスの編集システム

EDIUSだから……。

安田  そう (笑)! これがフィルムだったら、面倒なプロセスを経ないと、結論が出てこない。「こう入れ替えてみたら、シーンの流れや主人公の気持ちがもっとお客さんに伝わるんじゃない?」っていうのも、EDIUSだからサクサクできるわけですよ!

「うまく撮れてない」というのと逆に「せっかくうまく撮れたから使いたい、けれどカットしなければ」ってこともあるのでは。

藤沢  その通りです。制作側には「本当はこの画も使いたいのに」っていう画がいっぱいある。でも、当たり前だけど、観客が見るのは最終的に選ばれたカットだけなんですよね。だからこそ、いかに観客の目線を保てるかってのは大切なところでしょう。

安田  作品全体の流れっていうものを常に意識しておかないと、「撮ったものだからもったいない」って言って残しちゃうと思うんですよ。そこでおかしいという判断ができないチームだったら。

なるほど…。自主映画では監督が自分で編集する場合が多いと思うのですが、そういう危険性があるかもしれませんね。

安田  そうですね。そういう意味では、私のように脚本と監督が同じ人間がやっているのも、短所でもありますね。イメージ通りに作れるという長所もありますが。

短所というと、具体的には?

安田  あまり飛躍・修正・アレンジができないんです。自分の中で完成しちゃってますからね。他人の書いた脚本なら、第三者的な目で見て客観的な見直しもできるのかもしれないけど、自分の脚本だとそこが欠けちゃうんですよね。最初に予定していたものはできているんだけど果たしてそれは本当にベストだったのかっていう…、そこが今後の課題ですね。

脚本・監督だけでなく、もし編集までご自分でやられてたらますます固まっちゃってたかもしれませんね。その編集の部分を藤沢さんがやることによって客観的な部分が加わったということですか。

安田  そうですね。ホントは脚本書いてから演出する前にもう一回、頭を白紙にして考え直さないといけないんですよ。だけど実際には脚本書いたらすぐ撮影に入るパターンばかりで、イマイチそこのリセットの仕方が学べないうちに日々が過ぎていますね…。

藤沢  でもまぁ、それって自分で脚本を書いて自分で監督する人の永遠のテーマだと思う。

デジタル技術の良さは、画質より自由度

ハイビジョンの映画っていうのは初めてだと思うんですが、どう思われましたか?

安田  「きれいやなー」って思いました。あとは、編集の時に「こんなにサクサク動くんやぁー」って。「重いんちゃうん?ハイビジョンやし」みたいなのが最初にあったんですけど、「EDIUSちゃんたら、やるやん!」」って感じで (笑)。

編集の作業が終わってから、キネコ(ビデオをフィルムに転写すること)して見ても、違和感は無かったですか?

安田  特には。やっぱり最初からフィルムで撮った方がよかったとか、全然思わなかったです。

藤沢さんとしては、フィルムからビデオになって、ハイビジョンになって…、という技術的な移り変わりやCGの進化などについては、どう感じていますか?

藤沢  僕の中では、お手軽にキレイに撮れる環境になってきたなとは思うんですけど、キレイになるからこそ、ゴマカシが効かなくて苦労が増える人もいっぱいいると思いますよ。

安田  30歳代の小じわとか(笑)。

ああ、メイクさんもそうだし照明さんもそうですよね。

藤沢  そういえば、僕が学生の時に「羅生門」のニュープリント版の上映があったんだけど、宮川一夫さん(「羅生門」のカメラマン)に聞くと、(ニュープリント版について)「ああいうふうな上がりをイメージして撮ったんじゃないんだよ」って。それはどういうことかというと、「羅生門」の頃っていうのは上映用ポジ(フィルム)の粒子がもっと粗くて、でもそれを逆手にとって粗々しいガキッとした乱暴な画を作ったんだ、と。それを今のキレイなポジに焼くと画面が全部まろやかになってしまって全然別のものに見えてしまったっていうような話。

なるほど。そういう意味では、技術は発展してもハイビジョン一辺倒にはならずに、映画の内容や作風によって、フィルムで撮る時とか、DVで撮った方がいい味が出るっていう時もあるかもしれませんね。

藤沢  ですね。まあデジタルになって、後処理でいろいろ出来るようになったのはいいですね。以前は仕上がりの映像のためには撮影時にこのシボリで撮っておかないと、とかいうようなことが必要だったのが、後処理でどんどんできるようになってきてるので、自由度が上がったのは単純に良いことかなと。

CGソフトや合成ソフトによる後加工の技術もすごくなりましたしね。まあ、そこはちょっと「編集」の域を超える話になりますが…。

藤沢  いえ、わざわざCGを使わなくても、EDIUSとかの編集ソフトのレベルで出来ることも多いですよ。例えば、安田監督の「ひとしずくの魔法」というファンタジーな映画で、「人間の身体が砂になって消えていく」というカットがあったんですが、これはCGを使わずに作りました(笑)。

ええ?どうやったんですか?

ワイプでつないだシーン
ワイプでつないだシーン
藤沢  撮ったのはただ単に、固定カメラの前で、人物を立たせて撮ったカットと、同じ場所で袋から砂をダーっと落としたカット。これを、下から上へのワイプでつないだら、人間が下半身から砂になって落ちていくシーンができました。(右図)

ワイプだけで!

安田  うまいことしてくれましたよね〜、あの砂の落とし方。消える人の体の幅にちょうど合わせて。グリーンバックでもなんでもなく背景もそのままだから、意外と安っぽさが無くて。

藤沢  CGであれをイチから描いたりすると、どこかがウソっぽくなったと思うんですよ。貧乏な自主映画とかに関わってるとそういう風なアイデアの積み重ねがあって、こういう発想がでてきます(笑)。

映画編集は足し算じゃなくて引き算

編集についてさらにつっこんでいきますけど、一般の方々が作るようなビデオ作品と映画作品とでは、違うところってありますか?

藤沢  編集マンによっても差はあるんだろうけれども、基本的な考え方からして全然違うところもありますね。例えばビデオ中心の人だと、素材を切り出しつつ順次タイムライン上に並べていきながら編集していくことが多いみたいだけど、フィルムの人間は、これだけのカットがあります、というのをまずドーンとタイムラインに並べて、全体を見ながら切っていくという作業なんで……。

3点編集じゃない、ってことでしょうか。

藤沢  というか足し算じゃなくて引き算なんですよね。順次組み立てていくんでなく、最初に全体を作ってから削っていくんです。やっぱり、ドラマ・お芝居ってのはあくまでも全体があって、その中の流れだからね。足し算方式でやっていくと、流れがなかなか見えてこないんですよ。
その結果、僕は自分が編集した作品の「画」はあんまり覚えてないんですよ(笑)。覚えてるのは「流れ」だけです。

なるほど。映画編集をやってみたい人に、とても役立つ話です!

藤沢  あと、スムーズな流れを作っていくことは重要なんですけど、その流れを少し崩すっていうことの重要性っていうのもあります。伏線となる部分は他と違う「間」でつないでおくと、それが「引っかかり」として観客の記憶に残ってて、後で伏線の消化時に思い出してもらいやすい、という効果があったりします。そういうのがなかったら、あまりにスムーズ過ぎて面白くないんです。まずスムーズな流れをすっと見せて、次に、それをいかにギクシャクさせるかっていう……。そこに編集の味付けが必要になってきて、それをやっぱり2時間の映画全体で考えていかなきゃいけないんです。

これから映画作りを目指す人たちに向けて

上野樹里主演映画『幸福のスイッチ』の一場面
上野樹里主演映画 『幸福のスイッチ』 の一場面

最後に、監督から、これから映画作りを目指す人たちに何かメッセージをいただけませんでしょうか。

安田  いやー、そんな私のようなペーペーが……(笑)。まぁそうですね、インディーズでよく「構想しすぎて撮れない」っていうことがあると思うんだけど、迷ってるんだったら撮った方がいいな、って思います。続けるということと、作るということは、大事だと思いますね。止まっちゃうともう、誰もつきあってくれなくなっちゃいますからね。「あの人、作ってもお蔵にするんだ」って思われたら、次から手伝ってくれないだろうし……。
あと、今、映画監督を目指してる人は、かつての私のように会社員をしながらとか、学生をしながらとか、いろんな環境にいると思うんですが、どんな環境でも映画に活かしようがあると思います。会社員だったら会社ネタを毎日拾えるなんてラッキーと思えばいいだろうし、すでに映像の現場にいらっしゃるんだったら日々映像のことを学べるなんてラッキーと思えばいいし、地方にいても不利だと思わずに都会には無いものを探せばいいと思います。つまり、環境に不満を持つより、環境を活かして映画作りを続けたらよいのではないでしょうか。

藤沢さんには、編集をしたいと思っている人たちに、何を勉強しておくべきなのかといったアドバイスをお願いします。

藤沢  勉強のためにはもちろん映画は見た方がいいし……。ただ、技術があるっていうのと編集ができるっていうのは、また違うことですね。僕は「切らない編集マン」を目指してるんですけど、今まで一番勉強になったのは、僕の場合は、舞台の芝居を1台のカメラで撮っていったことかな。

編集の勉強に、芝居の撮影…ですか??

藤沢  それの何がいいのかというと、カメラが1つってことはつまり、お客さんの目と同じというところ。物語を追っていく時に、「この時点では、お客さんに何を見せるべきか?お客さんは何を見たがってるか?」っていう判断をしながら、カメラを振ったりズームをしたりするわけです。間違うと、お客さんはたちまち「何を見るべきか」がわからなくなってしまいます。それが一番、お話をつなぐにあたって勉強になったことだね。

なるほど…、「切らない編集」とはそういうことですか。

藤沢  やっぱり、編集の根本はストーリーテリング…、物語をいかに提示していくかってところ。何がしたいかっていうことと、何をするのが適切かっていうこと、この2つのバランスをどうとっていくかということが、お客さんにお話を伝える上で一番大切じゃないかと思います。

安田  だからね、私がもし、これから編集マンを目指す若者に言うとしたら、藤沢さんのように、監督のよき相談相手であり、よきアドバイザーであってほしいなって。監督が「もう、こうしかできなかった」って凝り固まってるところを、「もうちょっとこうしたら良くなるよ」とかいう感じの方が、ピッタリじゃないでしょうか。

そういう人にEDIUSを使ってもらいたいですね。

安田  是非是非 (笑)!で、それを目の前でサクサクとやると、一番話が早い!

本日は貴重なお話、どうもありがとうございました。これからも安田監督らしい映画と、藤沢さんらしい編集を期待しています。

上野樹里主演映画『幸福のスイッチ』ポスター

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